イタリアでは「L’uomo e` cio che mangia.(人は食べることから性格がわかる。)」ということわざがあります。
例えば、イタリアでmozzarellaチーズにオリーブオイルを掛けて、食べますが、日本なら、お豆腐に醤油。両方ともシンプル、原料の味を生かして、シンプルさを楽しむ料理です。
イタリアと日本、いろんな面で似ているところたくさんがあります。
海に囲まれ、平野より山が多い地形。気候や戦争の理由から、人が集まってつくられたコンパクトな街。好き嫌いに関わらず、人付き合いを大切にする文化。
1945年、日本もイタリアも戦争を負けました。
戦後は経済復興のために、日本でも、イタリアでも高速道路を造ったり、海を埋め立てたり、工場地域を広げたり、企業重視の時代になりました。
1960年イタリアでも全ての都市にはelevated highwayバイパス計画がありましたが・・・
1970年代、日本の生活スタイルは激変して、農業の国から工業経済の国になり、大企業が脚光を浴びるようになりました。一方、イタリアではテロやオイルショックが原因で経済発展が遅れたことで、街並、中小企業が残りました。
しかし、1980年代には、物事の優先順位が変わり、イタリアは一周遅れであるもののトップランナーになりました。
こうした背景の中、日本の伝統的、手工業重視の企業の多くが技術の保存をあきらめて、大量生産の企業になりました。逆に、世代から世代へ伝わった高い技術の純粋さを必要以上に頑固に守ろうとしたため、柔軟性・対応力を失い、少しずつ絶滅してしまいました。
伝統的な作り方や目的、流れを守るために、時代の流れに対抗してみましたが、結果的に伝統的な作り方や目的、流れがなくなりかけています。
イタリアでは?
景気回復のために、歴史ある工場は若手アーティスト、デザイナーとコラボレーションを始めました。
工場にとって、フレッシュなアイデアを取り入れることを大切にしました。同時にこれは、若手デザイナーにとっては、何百年もかけて発展した高い技術を学ぶ大切な機会となりました。
このパターンで、下記の有名なブランドは歴史と深いつながりを持ちながら、生まれ変わりました。
たとえば:
皆さまはご存知でしょうか。職人プライドを持って、1910年から高品質のシルバー鍍金のアクセサリーを作るという目的で会社を設立しました。
戦争の前は、結婚式のプレゼント用のシルバーテーブルセットの専門メーカでした。戦後からライフスタイルの変化により、クラシックデザインの鍍金アイテムの人気はどんどん減っていきました。2世代目のカルロ・アレッシは目標を改めて、優先順位を見直しました。「高品質に関して妥協はしたくないけれどシルバー鍍金は我慢できる」という考えで、現代的のデザインに切り替えて、ステンレスという素材に集中しました。
高技術、デザイン、良い材料にこだわりながら、柔軟に幅広く1970年代から3世代目のアルベルト・アレッシはさらにプラスチック材を多く使って、トップデザイナーと次々とユニークな商品を生み出しました。
ベネチアっていえば、手作りガラスですね。バロビエー社の歴史は1300年にさかのぼりますが、正式には、今の会社は1430年代に工場地であるムラーノ島で設立されました。ルネサンス時代、もちろん、バロック時代でも多くの作品が残されています。バロビエー社がもっとも有名になった製品は18世紀のシャンデリアです。しかし時代が変わり、照明用にロウソクは使はないし、天井高が低くなっていますので、シャンデリアの人気は減ってきました。
バロビエー社の場合も「自分らしく続けるために変える必要がある」との方針を選びました。
いろんな可能性のある材料:ガラスを中心に残して、経験のある職人さんたちのよこに、若手デザイナーを呼びました。お互いにメリットがあるコンビで有り、見たことないブラケット、ペンダント、スタンドが生まれました。