「estremo oriente」。日本は世界の東にある、「ずーっと遠い東の先」にある国。
この「東の限界」という不思議なイメージは西洋人にとって昔から大変興味がありました。
江戸時代の鎖国による日本の少ない情報は、中国を経て、ヨーロッパに届く前に、すでに物語のようになっていました。「ジパング」は、私たちにとって、とても遠くて、現実というより、夢のように感じました。明治時代に横浜と神戸の近辺に初めて領事館または貿易関係の欧米人が日本に住み始めました。
実際に住んでみても、やはり夢のような国でした。
当時の欧米人たちの手記を読むと、嬉しいと同時に悲しくなります。
イギリスの領事Sir Ernest Satowの手紙、Clara Whitney の日記によれば、美しい街並み、純潔な風景、洗練されている服装の日本人・・・素敵な日本でした。清潔な国において、水の存在は魅力的で、川、池、滝、温泉を身近に感じることができました。
後は色ですね。漆喰、石、いぶし瓦の深みのある濃淡のグラデーションと花ような色の着物とのコントラストは印象的でした。琥珀色、海老茶、藤紫、若草色、花浅葱。伝統色の名前を見るだけで別世界にいる感じがします。
私が1998年に日本に来た時も、不思議で、「限界」という独特な日本の印象を受けました。
プリクラ、枯山水、山手線のチャイム、おわ踊り、コンビニのおにぎり、私にとって何でも冒険的でした。
では、昔の日本と今の日本はどっちがいいですか?
「美しい国」を急いで作り直す必要がありますか?
流行の「景観熱心」の新開発はどのぐらい美しいですか?
しかし、これは表面的な「目で見える美しさ」であって、「化粧」を使って誤魔化せます。今では、何でも見た目で判断をするようになってしまいましたが、明治時代の西洋人が興味を持ったのは、日本のインナービューティーだったのではないでしょうか。彼らが見た日本は、「自然とともに暮らし」、「季節を楽しむ」、そして「市民がお互いに助け合う」など、愛情にあふれていました。明るく、純粋な内面が外面に表れた結果、ハーモニーと変化のある社会となっていたように思います。
今の日本が美しい国であるかないか、美しい国にするかしないかと難しく考える前に、本当に大切なものは何かを考えたらどうでしょう。
もしかしたら、昔の日本は「本物」だったので、自然に見た目も美しいかったのではないでしょうか。