昔ながらのまちなみや路地が残っており、いにしえの京都らしい雰囲気の残る地域、東山を散策してきました。
祇園新町周辺
白川南通
白川南通沿いには白川が流れていて、対岸には町家が並び通から橋でアクセスできる。美しい通り、美しい川、人の暮らしが調和していて、素敵な風景です。 新橋付近
新橋付近
さっきの白川南通と新橋通が合流する地点で白川もここで曲がっており西洋の広場のような囲まれた空間を造っている。
本物の建物や素材で囲われた空間はとても居心地がよい。
新町通 付近のコンビニ
あまり美しいとは言えないが、気を遣っていて好感をもてます。
ねねの道周辺
石塀小路
ねねの道より一本外れると、ヒューマンスケールの本物の素材でできた通路が現われる。
上の写真の道を奥に進むと道が2手に。 左手には門のようなものが有り、奥は坂の路地が続いている。
このような空間では道を通過というよりも前庭のように感じれる。
道を生活空間に取り込むことはまちとのつながりを意識できる第一歩だと思う。
ねねの道のそばに「ねねの小径」という複合店舗施設があり、お寺の境内と隣接している。
店に並ぶ人、休憩する人、地面で遊ぶ子供。
広場(境内)と店との良い関係は人間が主役の空間をつくり出す。
産寧坂周辺
今は観光地化して観光客で溢れているが、一昔前の商店と街路、住人、自然との関係はこのように調和がとれていたのであろうか。
車に怯えなければならない商店街や、画一化されたショッピングモールでは味わえない何かが残っている気がする。
番外
他にもギャラリーや教室が並んでいる。
この路地の奥には広いスペースが。しかし駐輪場に使われいるのは残念。
中庭にしたらいいのに...
路地を形成する一つひとつの家は共同住宅(寮みたいな)で暮らしているみたいな感覚だろう。
この界隈でひとつの共同体という意識が生まれやすいのでは。
でも、それって当たり前ではないか、私たちは皆、まち(広義では地球)という共同体で暮らしているのだから。
その意識って現代の住宅の供給や、つくり方、都市計画では生まれにくくなっているのではないでしょうか。
人の暮らしがまちをつくります。まちや自然と人間の暮らしの関係が良好だった(今も続ているのもあるが)時の美しいまちを見ると、改めて現在の人間の暮らしを変えなければならないと感じました。これは、かつての暮らしに戻るという意味ではなくて、関係を現在において良好にしていくという意味で進もうとしているのです。
Posted by コウヘイ